「やりたいこと」分からず、大学も不登校に。 | 28歳パン職人、会社辞めます。【第一話】

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パン職人。1989年生まれ。鳥取県鳥取市出身。

筑波大学卒業後、茨城県のパン屋で修行し、店長を経験。その後、結婚を機にふるさとの鳥取にUターン。

クラウドファンディングで開業資金を集め、「パン工房ほとり」を開業。

パン職人専門オンラインサロン「パンと生きる」オーナー。Twitterも更新中。

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こんにちは。しょうたん(@v_shota_v)です。

この度、会社を辞めることになりました。

街のパン屋さんからひとまず離れることになります。

 

厳密に言えばまだ会社に所属しているのですが、もう出勤することはないので、事実上「辞めた」と言ってもいい状態です。

このブログを読んで下さる皆さんへの報告。そして何より僕自身の気持ちの整理をしながら、ありのままをリアルにお話できたらと思います。

 

働き方や生き方に悩む方の少しでもお役に立てれば嬉しいです。

 

※こちらの記事は第一話になります。第二話はこちら

 

「やりたいこと」が見つからない学生時代

さて、こうやって改めて話そうとすると、何から話していいのか分からないので、ひとまず入社のきっかけからお話しますね。

僕は2013年に大学を卒業し、現在の会社に新卒として入社しました。会社の事業は「パンの製造・販売」。

俗に言う「街のパン屋さん」です。

 

大学時代の僕は典型的なダメな学生でした。

高校まではサッカーに打ち込むことが人生のすべてでしたが、大学では自分がどういった人生を送りたいのかよく分かんなくなっちゃったんですよね。

勉学に励むわけでもなく、授業は可能な限りサボり、かといって何かに熱中したかというとそうでもなく、ほどほどのサークル活動をし、飲み会に参加したり、朝までゲームをしたりと、ただ目の前の「やりたいこと」を追いかける毎日。

今思えばその「やりたいこと」も生産的なものではなく、ただただ消費する毎日でした。

 

そんな自分だったので、人の役に立ちたいなんて、微塵も思っていませんでした。

 

大学も3年生になると、段々と進路を決めていく友人が増えてきました。

「やりたいこと」や「自分が進むべき道」が分からず、何も決断できないうちに時間だけがただ過ぎていく。そんな僕からすると、人生の決断していく友人たちが眩しくまた羨ましく思っていたのを覚えています。

 

だから、友人に「何かやりたいことはないの?」と聞かれても、「家族と友だちと楽しく一緒に居たい」と答えてましたね。

周囲の男の子の中では料理が得意で、それを友人たちに振る舞ったりしていたら「お嫁さんになって欲しい」と冗談で言われたり、「仕事をするより家事する方が向いている」と言われました。

そう言われて、悪い気はしないどころか「それが出来るならそれもいいな」と思っていたし、それは今でもあまり変わって無いんじゃないかなと思います。

 

社会に出て働いている姿なんて想像もできず、「やりたいこと」も特になく、「大好きな家族や友人に囲まれて平凡な毎日が過ごせれば良いな」と、只々そう思っていました。

 

大学4年生で生まれて初めて不登校に

大学4年生のとき、研究室に配属されました。

「やりたいこと」もよく分からない状態だったので、目の前の与えられた課題を必死にこなしました。

担当して下さった先生は学科内でも少し怖いという噂があり、当時の僕はとてもプレッシャーを感じ、無理をしてでも成果を出そうとしていました。

 

「出来ないやつだと思われて、叱られたくない…」

 

只々、その一心でした。

 

そんな中迎えたのが大学院入試。

僕は面接で「研究室で与えられた課題を頑張ります」と言って、不合格になりました。

「叱られたくない」一心で研究活動をしていた僕にとって、研究は「やりたいこと」ではなく、「せっかく大学に入学したのだから、研究くらい頑張らなきゃいけない」という、誰が決めたのかも分からないレールの上にいました。

 

必要とされる自分を「演じたくない」と「演じなきゃ」という2つの気持ちが入り混じり、自分でもどうしていいか分からず、当然熱意など伝えられず、不合格になったのでした。

当たり前ですよね、熱意なんて無いんだから。

 

そしてほぼ同時に、学校に行くことが出来なくなりました。

「叱られたくない」と無理をして研究を進めていた僕は、自分でも気付かぬうちに優等生を演じてしまっていたのです。

そんな状態が長続きするわけがありません。研究が思ったように進まなくなると「叱られたくない」一心で学校を休みがちになっていきました。

そして遂に卒業研究の中間発表会を無断欠席。留年が決まります。

 

そんな状況になっても素直に両親にも友人にも相談できませんでした。

 

「いつも明るく元気で、前向きな自分でいなきゃ…」

「故郷の家族に心配はかけられない…」

 

自分の中にある「こうあるべき」に囚われ、目の前にある現実を認めることが出来ず、段々と人前に出ることも億劫になっていきました。

 

あのとき、「苦しい」のひとことが言えたなら、どんなに楽だったか…。

 

こうして僕は、大学4年生で生まれて初めて不登校になりました。

 

(第二話へ続く)